鄭観応

印刷 送る2009-11-28

 

鄭観応:中国近代有名な改良主義の思想家、実業家

 

 鄭観応(18421922)、本来の名は官応、字·正翔、号·陶齋、原籍は三郷雍陌村、中国近代有名な実業家とブルジョアジーの維新思想家で、中国初期のブルジョアジー維新派の中で最も名高い人である。1858年、上海まで商業を経営することを学んでいた。先に英商の宝順洋行に雇われて買弁を担当し、後英商と公正汽船瓮を経営し、理事を担当した。1874年、英商の太古洋行の買弁、太古汽船会社の社長を就任し、恒古銭荘(私営の金融機関)を創立した。鄭氏は1869年にお金で清政府の員外郎との官職を買い、次の年更に郎中(もっと高い官位の官職)を買った;1879年、第3回にお金を使って前2回よりもっと高い官職である郷卿銜二品を受けた。1880年李鴻章に上海電報局、上海機械機織局、汽船誘致の頭取に委任され、洋務運動に参加した。鄭氏は時事政治に関心を持って、西洋の学問に熱意があった。80年代から90年代の初めにかけて、次第に維新改良の思想を形成し、変革で外国の侵略と圧迫を抵抗し、学校を創立することで人材を育てるべきと主張した。

著作は『進歩を救う綱要』、『易言』、『盛時危言』、『南遊日記』などが残され、その中は『盛んな時代のびっくりさせる言葉』の影響が最も大きい。この本は30数万字続いて、内容はきわめて広範で、それから康有為が指導者である「戊戍変法」に対して先導の作用を果たした。